読む人の“ヒューマン観”を揺さぶる、現実にリンクするドラマ『ダーウィン事変』がスゴイ!

「肉食」な私たちの世界を取り囲む、理不尽と残酷
 私の友人で「お頭(かしら)付き」の魚を食べられない女性がいます。
 理由は「目が合うと、なんだかかわいそうだから」。でも、そんな彼女も切り身の魚なら問題なく食べることができるんです。
 さらに彼女は猫を飼っていて、会う度愛らしい写真を見せてくれます。
 「一緒に暮らしているとね、相手がたとえ動物でも通じ合い、気持ちがわかるんだよ」
 そう話しながらレストランで私と一緒にステーキを切り分けます。

  少し、イジワルな書き出しでしたね。
 でも、私だって彼女と変わりません。動画で見る動物はかわいい。そして、美味しい。

 食事だけではなく、革製品や化粧品、それから医療品にいたるまで私たちの美味しく、便利で豊かな生活には多くの「動物の命」が費やされている。
 さらにそういった都合の悪い現実に向き合わなくて済むように、彼らの命は清潔なトレーに切り分けられて日々消費されていきます。

人間だけがあらゆる命に線引きをできる特別な存在なのでしょうか?

 私の疑問に対してヒューマンとチンパンジーの交雑種(ハイブリッド)であるチャーリーはこう答えます。

「どの命も僕にとっては等しい『ONEワン』だよ」
 書店員を中心として選考される『マンガ大賞』で数ある優秀作品を抑え2022年の大賞を受賞した本作『ダーウィン事変』。
 命が抱える問題を軸に綴られる、「人間」と「人間以外の動物」の混血児であるチャーリーの冒険譚は、驚きと確かなリアル、そして気づきに満ちています。

 読む人に変革を与える衝撃作。その素晴らしく練られた内容に迫っていきましょう。
動物解放同盟に救い出されたメスのチンパンジーは「人間の子ども」を身籠もっていた。

 ストーリーの舞台は“架空の世界線に在る”アメリカ合衆国。
 様々な人種、それぞれの思考が入り交じる自由の国では「全ての動物の命が平等であるべき」と「肉食」を否定する組織:ALA(ANIMAL LIBERATION ALLIANCE)の過激なテロ活動が世相を騒がせていました。

「ある研究所が非情な動物実験を繰り返している」
 物語の書き出しではリーク先の研究所へ押し入るALAの様子が描かれます。
 その研究所に捕らわれていたのは1頭のチンパンジー。その個体は「人間との子ども」身籠もっていたのです。
 このようにショッキングな冒頭により誕生したのが、ヒューマンとチンパンジーの交雑種、つまりハイブリッドである「ヒューマンジー(HUMANZEE)」の主人公、チャーリーなのです。

 特殊な出生を持つ彼は、彼の産みの親であるチンパンジー:エヴァを救った研究者・バートと弁護士・ハンナ夫妻の養子となり、数奇な生を辿り始めます。

人間以上の知能と、チンパンジー以上の身体能力を持つヒューマンジー

 ハイブリッドだからこそ、チャーリーの見た目は私たち人間の目から見るととても異質。
 さらに、混血による優性が継がれる「生物の法則」に沿い、その知能、身体能力は人間のそれを遙かに凌駕します。
入学した学校で木の幹から落ちる猫と友人となるルーシーを救い出す場面。なんとここへ駆けつける数秒前、彼は屋内の教室で授業を受けていました。恐るべき敏捷と跳躍、そして握力です。
 しかし、そんな彼は異質であるからこそ、“人”としての法律は適用されません。アメリカの市民権はもちろん人間の誰もが持っているような自由権を初めとするあらゆる権利ヒューマンライツが無いのです。
 その特異性故に普通になれないチャーリー。しかし彼やスタイン夫妻の希望は普通の学生生活を送ること。
 でも、世界はそれを許してくれません。

✔初めて出来た友人、ルーシー

異質への興味が、やがて彼女の観念を変えていく。
 特別なチャーリーはスタイン夫妻を除いてほとんど人と接すること無く森で暮らしてきました。
 そんな彼の初めて学校で出来た友人が、万華鏡の目をした女の子。ルーシーです。
 ヒステリックで厳格な母親の元、人嫌いのルーシーは常に外界と遮断するパーカのフードがトレードマーク。学校では陰キャナード(nerd)とからかわれる彼女だからこそ、異質なチャーリーに最初は興味を持ち、しかし、それはやがて深い友情へと変わっていきます。
ヒューマンジーでいるって、特別な生き物であるってどんな気持ち?というルーシーの問いに「じゃあ逆に聞くけれどヒューマンでいるってどんな気持ち?」と返すチャーリー。彼の率直な質問が人間も、いえ動物全てが等しくスペシャルであり、同時に当たり前であるのだと告げてきます。
 そして彼の、「チャーリーだけが持つ視線」の新鮮に自分の世界が揺らいでいくのです。

✔ヴィ―ガンという正しさと、矛盾

殺す生き物を0にして人は生きられない
 最近ではレストランでもヴィーガンメニューという項目を目にするようになりました。
 日本ではまだ聞き慣れない言葉ですが、ヴィーガン(Vegan)とは完全な菜食主義のこと。食事だけでは無く、動物由来のものを避け、動物の命を尊重します。
 彼らが大事とするのは健康やおいしさでは無く、人間の嗜好によって搾取されてしまう命への正しい在り方。
 しかし、作品を読んでいる内に「正しさ」とは何であるかを深く考えさせられてしまうのです。
ヴィーガン主義のゲイルは、世界の残酷と変わらない日常に挟まれ、徐々に肉食への憎しみを募らせていきます
我々ALAは声なき動物たちの悲鳴の代弁者だ。
 思想は尊重されるべきですが、何者にも押しつけることはできません。しかしヴィーガン主義から過激な行為に走るテロ組織ALAが目をつけたのは「声を持つ」動物側のヒューマンジーのチャーリーなのです。
 ストーリーではALAの存在が徐々にチャーリーの学生生活に陰を落としていきます。

 各地で起こる肉食への暴力的なテロ行為。そして、ALAに注目が集まるほど、彼らの救出によって出生することになったチャーリーにもスポットライトが当てられてしまいます。

肉食は悪なのか?教えてくれよチャーリー。
 実はヴィーガンであるスタイン夫妻に育てられたチャーリーも菜食主義者。
 同級のオジーからの「肉を食べる人間は、おまえから見たら悪なのか?」という問いにチャーリーは答えます。
 当然激高するオジーに、さらにチャーリーは当然のように「なんで 人間だけは殺して食べちゃダメなの?」と返します。そしてそれには誰も答えを返せないのです。

「確かにこの世は残酷で理不尽で矛盾に満ちている。So fuckin what?(それで?)この世界はアダムからこの方ずっとこうさ、クレームならあの世で神にでも言うといい」
さすがフィル、私の推しカッケェ
クールな台詞と卓越した画力
 本作を手がけるのはうめざわしゅん先生。鋭い台詞と、鮮烈でセンスに溢れた短編作品集『パンティストッキングのような空の下』は『このマンガがすごい!』に選ばれ話題となりました。
 卓越したデッサンは素晴らしく、輪郭線は恐ろしく正確であり絶妙に書き込まれる陰影に「生々しい人間」を見事に表現しています。
 表情の表現力、魅力的なキャラクターたちの瞳に潜む愛情や、業。その奥行きの深さにも注目してみてください。

ALAの中枢を担う、シリアルキラーな革命家。リヴェラ・ファイヤアーベント
 チャーリー、ルーシーを始め、スタイン夫妻や彼らをとりまく人物描写にも注目してみてください。
なんとなくわかる。この人は絶対にまばたきをしない人だ。覗き込むような瞳の迫力!作中で描かれる彼の得体の知れ無さに是非震えてみてください。
チャーリーが暮らすミズーリの保安官補。フィル
最初はちょっとイケ好かないの。でも気がつけば私の推しです。超格好いい、でも愛嬌もあるフィル。奥さんも含めてこの夫婦、推せる。
特にストーリーの緊張高まる後半は私の癒やしとなりました。

✔ストーリー越しに見る私たちの現実

「ヒューマンジーはダーウィンのパラダイムシフトを加速させるゲームチェンジャーなんだよ、ルーシー」
 ダーウィンが発表した『種の起源』。しかし、「人間は神の分身ではなく、サルが進化した動物である」という真実は一種敬虔なクリスチャンにとって受け入れがたい変革だったとリヴェラは語ります。
 そしてチャーリーは人間のその価値観をさらに進ませてくれるものだとも。

ストーリーを通して考えさせられるもの
 畜産に伴う温室効果ガスのよる地球温暖化。動物性中心の食生活による健康被害。
 自然破壊による野生動物から感染する未知の疫病。
 作中で取り上げられるこれらは皆、現実の私たちが今抱えている問題です。
 『ダーウィン事変』の素晴らしさは、練られた構成と衝撃的な展開、スリル溢れるストーリーに乗せながら、正面からでは向き合えない残酷な人間の課題に目を向け、考えさせられることにもあります。

 しかし、そんな重い問いにさえチャーリーはこう答えるのです。
「農作物を作る過程でも動物は死ぬし、道路、タイヤ、医療品…今の社会の製品の多くは動物の犠牲を前提に生産されている。生きている以上動物搾取を0にするなんて不可能だよ」
 そう語ったのはチャーリーの育ての父であるバート氏。彼は「パーフェクトな生き方なんてどこにもないけど、よりマシな選択肢ならいつもある」とも言います。
 そしてヴィーガンを貫く一人として、「人間に絶望していない」とも。

 そう、思想の違いはあっても、理解しようとし合うことはできる。正解を探し続けることの大切を感じます。

 フィクションでありながら、既存の価値観や生命に対する考え方をリアルに問いかけてくるスゴイ作品『ダーウィン事変』。
 ストーリーの先でチャーリーは何を見つけ、その視線を通じ読者である私たちはどのように心を揺さぶられ、何を思うのか。続きが楽しみでなりません。

▼ 作品情報 ▼

ダーウィン事変

著者:うめざわしゅん


(C)うめざわしゅん/講談社