シルバーから青春のブルーへ、風と波が誘う映像の水面へダイブする。「海が走るエンドロール」

白に煌めきが混ざるような銀は燃え尽きた灰の色、スクリーンの色。
「シルバー」と、手元の辞書で引いてみると。
 シルバー[silver]は名詞で、
 (1)銀。また、銀製品。
 (2)銀色。
 (3)高齢者。高齢者のための。と、あります。

 銀色を高齢者のカラーとした由来は、髪の色が抜けていくようにカラーを、鮮やかさを、失っていくからなのでしょうか。
 時代を築くのは次世代であり、文化を作るのは若者であることは間違いありません。書店に足を運び「60代からの~」という書籍を探すと、終末期に向けてエンディングノート作りを勧めたり、遺言状の書き方指南、身辺整理の方法、など。なんだか寂しい話題も多いです。
 還暦を過ぎたら、世間の主役にはなれない? 何かを始めるには遅いのでしょうか?

誰でも船は出せる
「私はあの日、目の前に海があることに気づいた」
 宝島社「このマンガがすごい!2022」にてオンナ編第一位に選出された『海が走るエンドロール』の主人公は御年65歳の未亡人、茅野うみ子。

 亡き夫と初デートした映画館の思い出を胸に、シネコンへと足を運んだうみ子。そこでの思わぬ出会いによって、彼女の穏やかな日常に風が吹き、波が立ち始めます。
 そう、同作はモノクロを映していた銀幕がカラー映画に変わるかのように、何かを予感させる展開に胸が高鳴るシルバーガールの青春劇。
 老若男女を問わず多くの読者を引きつける静かに燃える青春の世界へダイブしてみましょう。

✔映画館での出会い

「映画を一緒に観てくれる貴方のことが好きだった」
 夫と死別し四十九日が過ぎたころ。
 一人暮らしとなった茅野うみ子がたまたま足を運んだのは、街の映画館でした。スクリーンを眺めながら、彼女が思い浮かべるのは亡き夫のこと。初デートのときに映画よりも観客の顔ばかりを見てしまい「あなたは映画よりも、映画を観てる人が好きなんですね」と後で夫に言われたことを思い出す内に、ふと後部座席に座る一人の青年と目が合います。

「観てましたよね、自分もたまに客席観たくなるんで、わかります」
 中性的な顔立ちの彼は映像科を専攻する大学生で、名前は「海」と書いてカイと読む、とのこと。
 不思議な縁はつながり、映画作品のエンドロールの後に奇妙な時間を過ごす二人。ポツポツと話を重ねる内にふいに、うみ子はカイに問われます。
 「うみ子さんは――、映画作りたい側なんじゃないの?」と。
 どんな面白い映画を作っても客席が気になるのがその証拠なのではないかと。そして足元を波が流れていくかのように誘いかけるのです。

「そんな人間はさ、今からだって死ぬ気で」

✔65歳の大学生

波に打たれ、揺らいでいく日常
 不思議な青年との出会いに圧倒されたうみ子ですが、夜が明ければ再びいつもの日常へ。夫が亡くなり自分を心配する娘とオンラインで通話し、丁寧に食事を作ったり……。

 しかし、部屋に落ちていたカイの忘れ物の筆箱を届けに近くの美大へと足を運んだとき。オープンキャンパスという言葉の通り、大学の門戸は誰にでも開かれていることに気づくのです。――そう65歳の自身にも。

「お母さんが好きなことをしているの、お父さんなら変わらず笑って見てると思うよ」
 BL漫画家として生計を立てる娘に「好きなことしなよ」とやさしく背を押され、思わず未知の大海原へと帆を張るうみ子。

 進む少子化により、定員割れをする大学も多くある昨今。実際に全国でもシルバー学生を受け入れる大学も増えてきています。
 しかし、カイが通う映像科では高齢学生の入学に実績はありません。面接で、ネットでも映像作りは学べる時代に学科を志望する動機を聞かれてうみ子はカイを思い浮かべて言います。

「…6月のオープンキャンパスに来た時 はじめて 映画が好きで 作りたいと本気で思っている学生と会いました」
 そして、自身の好きな映画たちが、こういう純粋な目を持つ人々の手によって作られているんだと実感し、自分もこの大学で映画を撮ってみたいと思ったと続けます。 

人生100年時代
 医療の発達から近年の人の寿命は延びつつあります。でも、60代にとって、新しいことを始めることのハードルを高くしてしまう原因の一つが残された時間です。そして寂しいことですが、エネルギーや身体機能の低下が起きてしまうのも事実です。
 同作では「残された時間」という言葉が主人公うみ子の立ち位置としてより重みのある言葉として綴られますが――、でもそれは、うみ子に限る話ではありません。
 老いも若きも平等にときは流れていくように、残された時間でどんなことができるか。そんなことをふと考えてしまうのも同作の面白さではないでしょうか。

✔シルバーとブルー

人生への達観にぶつかるみずみずしい感性
 『海が走るエンドロール』は65歳のうみ子が主人公ですが、同時に20代であるカイの物語でもあります。読者はうみ子の視点を通じ、カイの問題を抱えた家庭環境やその背景を知っていくことになるのです。
 生い立ちも、今立つステージも、年齢も遠く、それでも映画に懸ける情熱は違わない。
 映画でいうならばバディのように、創作を通じて縁を深めていく二人。かたや人生の様々なステージの経験者であり、相反するような若さと鋭さを持つ未成年。
 そんなうみ子とカイが、ジェネレーションのギャップも飛び越えて映画作りという路線上でぶつかり交錯する。そんな二人の感情の動きも見逃せません。

印象的な場面の影と光の魅力
繊細な線画によく馴染み、映画のワンシーンのように目と心を奪われます。柔らかな線と穏やかな光彩はまるで古い映画のようでやさしく、それでいて色気があり魅力的です。
 主人公の年齢や、ストーリー展開に注目が集まる『海が走るエンドロール』ですが、細い線で紡ぎ出される画にも力があります。

 例えば同作では心の揺らぎが起こる場面で、人物の背後から西日が差すようにキャラクターたちの顔に影が重なります。
 この線画に重なるグレー色の重なりを、マンガ技法では「トーンワーク」と呼び、モノクロの画面に白と黒だけではない様々な色彩を読者にイメージさせるのです。
 作者であるたらちねジョン先生のトーンワークはイラストやパターン素材に頼らず、基本のグレー色を線画に重ねて、光が差し込むように淡く削っていくものがベースです。それは、華やかできらきらしいものではありませんが、独特な空気が美しく、胸に残ります。

✔海への誘い

海が表すもの
 物語では「海」が重要なモチーフとして、またテーマとしても描かれているように感じました。
 主人公であるうみ子とカイ。未知の海原へ漕ぎだしていく勇気。波のように誘いに揺らぐ心。ときに嵐を呼び、晴れ間の紺碧を映す、青春の青き水面。命の回遊。
カイとの出会いが海を連れてきた
 65歳が主人公ということに話題が集まる『海が走るエンドロール』なのですが、生活に根差し、動けないことに年齢は関係はありません。それでも何かをきっかけに足がまるで波に攫われて行くように。好きなことに向かい何かに打ち込んでみたくなるような日がくるかもしれない。
 初めてに、未知へ飛び込み心を揺らしてみたいと思う。そこに年齢は関係なく「予感」を感じて生きていく楽しさを伝えてくれる作品です。

▼ 作品情報 ▼

海が走るエンドロール

著:たらちねジョン


(C)たらちねジョン(秋田書店)