売買される若さと性。ビターな人間模様を描く『明日、私は誰かのカノジョ』では、渇きを癒す掛け値のないものが印象に残る。

※【再掲】2021年7月の記事です。
デビュー作にて累計100万部を突破!新鋭の慧眼が時代の孤独を浮き彫りにする。

 SNSやメッセージアプリで、誰もが気軽に「自分」をシェアできるようになりました。

 今の気持ち、状況、体験を簡単に共有できて、共感が得られる。
 素晴らしいことではありますが、人気や注目度、一方孤独でさえもイイねや閲覧数に変換・数値化され、自作・演出できるようになっています。

 もしかしたらそれに伴い、自己というものは細切れにされ、本来大切であるものの価値は希薄になっているのかもしれません。
『明日、私は誰かのカノジョ』で描かれるのは、金銭を媒介したビターな人間模様。
 シリーズ累計100万部の売上を突破し、『明日カノ』の愛称でSNS上でも話題沸騰中の同作。
 繊細で柔らかな線で紡がれるのは金銭を媒介とする男女のビターな人間模様です。

 ストーリー全体を覆う影は濃く、扱うテーマも重い。

 しかし実際に読んでみると、ところどころに点のように差し込む光がむしろ印象に残りました。

 多くのものの代替えが利き、現金によって売買されてしまう時代でも、掛け値のないものが確かにある。
 そんな本作の魅力へ踏み込んでいきましょう。
 『明日、私は誰かのカノジョ』は1巻~2巻で主役の視点が移り変わる、オムニバス形式の作品です。

 物語の中心は女子大生である「」。
 彼女を起点に友人である「リナ」や、バイト先の同僚「あやな」へと焦点を切り替えながら、巧みに“女性たち”の身に潜む傷や、心の歪みひずみを描き出していきます。

女子大生:雪のアルバイトは、「誰かのカノジョ」としてレンタルされること。
 親に虐待を受けて育った雪は、自らの学費を稼ぐこと、心の欠落を埋めるために、高収入である「レンタル彼女」のアルバイトへと身を投じます。 
 一定時間、疑似恋愛をサービスとして供し、金銭を支払う男性の彼女を演じる。そこに雪の自分はなく、男性顧客にとっての都合の良い女になりきるのです。
一見美しい彼女ですが、メイクで覆う顔には痛ましいやけどの跡が、そして心に深い傷を残しています。
彼女たちに共通する「自己の否定」
 収入を目的とする雪とは異なり級友であるリナは、空っぽの自分を埋めたくて、金銭援助による交際関係を持つ「パパ活」をやめることができません。
空間恐怖症なのでしょうか。と、聞きたくなるほど埋まっているリナのスケジュール。何とも言えないリアリティを感じます。
 さらに雪の同僚であるあやなは、美容整形を繰り返し、その素顔は恋人ですら知り得ないというから恐ろしいはなし……。
同作一番の私の推しヒロインがこちらあやなです。彼女の八重歯に注目して読み進めていただけると、あるとき、ドキリと心が揺れます。
 オムニバス形式により、主人公の視点が変わる本作。彼女たちに共通するのは「自己の否定」です。

 愛されなかったことによる劣等感、空虚への不安、自らの容貌への憎悪。
 その空洞を埋めるように自らを切り売りしていく姿は痛ましくもあり、一方でどこかきっぱりとした自己への決別を感じます。
 自分ではない何者かへと変わりたい。

 それは主人公に投影して自己を忘れる、「物語を読む」読者の行為にも通じます。

 もちろん、作品を読む理由はそればかりではありませんが、ときに人の心は弱いものです。
 境遇や立場から距離を置いて現実から意識を離すことは、物事を俯瞰して捉えたいという欲求でもあり、逃避ともいえます。

 自己の否定を通して、何者かへと変貌していく。彼女たちのストーリーは読者の知りたい「変身のその先」が描かれているのです。

✔投げかけられる言葉の残酷

「ブス」。あたしが絶対、言われたくない。
顔を変えるほどの決意をさせた言葉の凶器を、あたしはいつの間にか他人に向けている。

 売買される若さと性。剥き出しの欲望が描かれる本作だからこそ。その人間間で交わされる言葉はときに鋭利で残酷です。
 注目したいのが、それは相手を意図して傷つけようとする言葉に限らず、咄嗟にこぼれるもの。個人の持つ視野が暴力として描かれていることです。
 これまでマイノリティだった意見や考えが公で共有されるようになり、当然と持ち得ていた観念が、誰かを傷つけるという声がときおり騒然となります。

 多様な考えが尊重される現在では、あらゆる立場を配慮する想像力を持つことは大切です。
 けれども、ただ無自覚であることが罪になり得るセンシティブな時代に、少し息苦しさも感じられます。

女性きみたちの価値には期限があるってこと、忘れない方がいいよ。
 レンタル彼女、パパ活、美容整形。
 読む人によってはショッキングな題材でありながら、その根本にあるのは「お金が欲しい」、「満たされたい」、「きれいになりたい」という、誰もが抱くいたってノーマルな欲求です。

 だからこそ特殊な状況にあるはずの「彼女たち」に投げかけられる言葉は、読者の気持ちさえもかき乱します。

 性や若さに対する価値観。それは偏見でもあれば、生物学上の側面も持ちます。
 ただその当然の観念でさえ、誰かを傷つけ得る凶器となるのです。

 作品上の言葉は多くの誰もが経験したことのある痛みであり、同時に他人に向ける感情でもあります。人がただ生きているだけで持ち得る残酷が、暴力として赤裸々に描かれているのです。

✔点のように差す光、掛け値のないもの

ただそこにいるだけの関係、他人の真心に救われる
 誰かに愛されないこと、自分を愛せないこと。自分を憎み続ける辛さはいくばくでしょう。それは身の内に刃を抱いて生きていくようにも見えます。
 ストーリーで描かれる女性たちの心がひび割れ、渇き続けることに容赦がない本作だからこそ、ふと差し込まれるあたたかな描写が読んでいて印象に残りました。

人生で初めての海
 私が最も鮮明に感じられたのは、雪があやなと共に、早朝の海を眺める場面です。
 雪が持つ虐待による心の傷、それまで埋まらなかった心の空洞にそっと手が添えられるような柔らかな印象を受けました。
 面白く感じるのは、雪にとってのあやなという存在はそこまで深い関係ではないということ。

 肉親や恋人、ごく身近な友人。その関係に支えられながらときに傷つけられることもあるように、普段関わりのない他人のなんとはない一言や行為にどうしようもなく救われることがある。

 誰かの救いになるそのような行動の核には、目の前で傷ついている他人を放っておくことができない、助けてあげたいと思う真心のようなものが感じられます。。
ストーリーの都合に収まらない「本当」を描く同作だからこそ、人の真心はあたたかい。

 真心という漢字本来が指すのは「本当の心」ということです。
 しかし、真心という言葉は、相手の幸せを願い、相手に尽くすような意味合いで使われます。

 例えそれがただ目の前にいるだけの関係であっても、気持ちを分かち、その人の幸せを願うことができる。
 それは誰もが持っている「本当の心」であると真心という言葉は教えてくれるのです。

 決して甘やかではない人間関係が描かれる『明日、私は誰かのカノジョ』では、主人公たちの選択はときに「ストーリーの都合」に収まりません。
 それは作品を読んで得られる納得とは違う、「本当」を描こうとするをの ひなお先生の挑戦とも感じられました。

 可視化されることで、却って大切な物の価値が見失われてしまう今だからこそ、掛け値のない真心に救われる。
 それが「本当」であってほしいと願うのは作品にとどまる話ではないのです。

✔鋭い観察力と人間描写

紹介文と同じくらい熱が入ってしまったオマケ

珠玉のオジさまセレクション!
をの ひなお先生の鋭い観察眼

 本作の魅力の一つが繊細な線で描かれる透明感ある「彼女たち」。ガラス玉のような瞳、艶のある髪。そんなきらめく女性陣との落差(ごめんなさい)を強調するかのごとく、生々しく描かれる存在がいる……、

 そうオジさま方である!

 最初は現役女子大生:雪から見たオジさまはこんなカンジです。という悲しいメッセージかなと、思ったのですが、次々に現れる個性豊かなオジさまバリエーションに、気が付けば新入りが登場する度、高揚を感じるよう躾けられてしまいました。

 もしかしたらをの ひなお先生も楽しまれて描いているのではないでしょうか。

そのようなわけで!私が勝手に選ぶ、見逃せない「明日カノ」オジサマーズをここで紹介しています!
発言に横文字を挟んでいくオジさま
雪ちゃんに「肌が汚い」と思われる可哀そうな彼。しかしその性根と発言はポジティブかつドラスティックで、読者にワンアンドオンリ―なインパクトを与えてくれる。最高!
瞳がきれいなオジさま
これから彼の身に起こる夢のひとときに、喜びが隠せない。オジさまたちの中で最も輝く、少年のような瞳の持ち主。

心の器がお猪口のように狭いようで、その底は意外にも深かった。なんかこう、憎めなくて困る。いいぞ、涼!老いに抗え!
正之さん
まだ若い正之さんも、女子大生の雪ちゃんから見たら、残念ながら立派なオジさまです。腹部のメタボ曲線がなんともリアル。次回の健康診断結果が心配だわ。
小麦色した渚のオジさま
現役の頃、朝はサーフィンした後に出社、という生活に憧れながら日焼けマシーンを活用していてほしい!湘南あたりにあまり使っていない別荘を持っていてほしい!
元柔道部副将投げ銭オジさま
握力が強い(きっと)。
 と、このように風貌はもちろん個性豊かなラインナップ!話の展開もさることながら、次にどんなオジさまが登場するのか?正直楽しみで仕方ありませんっ!

 ――と、つい熱が入りましたが、オジさま方にとどまらない、リアルで生っぽく描かれる様々な登場人物を読むたび、をの ひなお先生の鋭い観察力に驚かされます。
 身近な隣人を思わせる、発言や自分勝手な残酷が描かれているからこそ、ふとした真心がまた際立つのかもしれません。
 そんな魅力ある登場人物たちにも注目してみてください。

▼ 作品情報 ▼

明日、私は誰かのカノジョ

著者:をのひなお


(C) Cygames,Inc・をの ひなお / 小学館