主役は裁判官「仕事は人を裁くこと」。ていねいに人を描く『イチケイのカラス』が温かくて味わい深い!

「被告人に判決を言い渡す――、」
 裁判や司法制度などをテーマとする、リーガル作品の「判決」といえば、話の結論であり、宴もたけなわ~な状態です。
 でも、当作品『イチケイのカラス』の盛り上がりはここからこそが本番!
 なぜなら、主役としてスポットを当てられるのが、判決を出し、人を裁く、「裁判官たち」なのです。
主役は裁判官、仕事は人を裁くこと。
 主人公たちはカラスのごとく黒い服をまとう、武蔵野地方裁判所、第1刑事部書記官室(通称:イチケイ)の刑事裁判官たち。
タイトルにもなっている「カラス」は法服に由来するだけではないのですが……、それは本編にて!
 それぞれのキャラクターの良さが際立つ、味わい深い人間描写が好評を得て、2021年4月からは日本テレビよりドラマ放送もスタート!
 話の続きや、その後の展開が気になり、原作を読んでみたい!という方も多いのではないでしょうか。

 もちろん、そのまま読んでも十分面白い作品なのですが、裁判官が主役ということもあり、基本的な知識があると尚楽しめるかと。
 本音を言えば、リーガル作品好きであれば問題ありませんが、私のように法廷に疎い、パッパラパーにもわかるように、説明がほしいのです!

 しかし、入口のハードルが少し高いからといって、当作品の面白さが損なわれることは決してありません。
 むしろそこに躓くことなく歩を進められるよう、調べながら読み解いていきたいと思います。
 さぁ法廷開始だ!
個性的なメンバーがそろう第1刑事部書記官室に「THE裁判官」な坂間真平がやってくる!
 地方裁判所・高等裁判所では、「裁判長」、裁判長から見て右に座る、「右陪席」、左に座る「左陪席」と、通常3人の裁判官で構成されるのだそうです(この3人揃って行う判事を合議というそうな)。
 作品を読んでいると、内容の規模や、罪の重さにより合議で行う場合と、それぞれが一人で判事を行うこともある様子。

 イチケイの右陪席は元・辣腕弁護士として、十数件もの無罪判決に関わった異色の経歴を持つ入間みちお
歩くときの効果音はボッシボシ!とマシュマロやわらかボディですが、法廷では元弁護士らしい探求心で聞きまくる、鋭い一面も見せます。
 そして裁判長は、イチケイの部長であり、30件あまりの無罪判決に関わってきた(しかもその後の起訴率も低いという驚きの)駒沢義男です。
物腰やわらかでありながら、人を乗せるのも上手いなかなかの策士です。
 さらにノリが軽くてきさくな担当書記官の石倉文太、おっとりとしたムードメーカ事務官の一ノ瀬糸子と、個性派ぞろいのイチケイメンバー。
 そんなイチケイに新たな左陪席として、特例判事補(平たくいうと任官して10年以内の裁判官のことだそうです)、ド真面目で清廉潔白、法に基づいて公正な判断をモットーとする「THE裁判官」な坂間真平が赴任することになるのです。

✔事件は解決済!でも本番はここから

事件は起こりません。が、しみじみ面白い!
 いいかな?ネタバレだぞ。  当作品では真犯人が別の場所にいて、東尋坊から滑落死を図る――、ということはありません。
 そしてレインボーブリッジは封鎖されないし、巨大建造物に爆弾が仕掛けられ、倒壊してエンドロールが流れる。ということもない(もちろん、サッカーボールも爆発しない)。

 そう、事件は既に解決していて、弁論も終わり。と、このように材料が出揃っていても「結論を出すことの難しさ」がテーマの一つでもあるのです。

 刑事裁判は、殺人・傷害・窃盗・詐欺などの犯罪による起訴を判断すること。
 有罪であれば、刑罰の内容も確定しなければいけません。は、判断が重い!

 法廷での裁判官の役目は、起訴した側の検察官、被告側の弁護人の言い分、そして何より被告本人の言い分を聞いて、聞いて聞きまくり、よく確かめ、調べた上で、結論を出すこと。

 いかに名探偵が活躍して逮捕されていようが、「私がやりました」と泣き崩れていようが、被告は、被告。あくまで疑いのある人であり、「犯人」とは限らないのです。

✔有罪率99%。判決に迷う?迷わない?

驚きの確率。裁判になったらほぼ有罪!
 ここで知っておきたいのは、日本における刑事裁判の有罪率は99%以上と言われていること。
 裁判になったら、ほぼ有罪。後はどんな量刑(被告が償うべき刑罰のこと)が言い渡されるかが裁判官の判断となる……ともとれる、確率です。

 その背景には、刑事裁判のほとんどが被告人が罪を認めている「自白事件」であること。さらに裁くべき被告の検証は、検察側が立証済み。そうであればほとんど悩む必要はない。と、赴任した初日に坂間裁判官はいいます。
事実、裁判官が的確かつ速やかに事件を処理していかなければ、量刑の定まらない犯罪が増えていく一方。スピーディーな「処理」も確かに大切なのです。
 対して、「唯一、本当のことを知っている」被告に話を聞ける最後の機会と、ときに牧師のように接する駒沢裁判官
 冒頭陳述で被告が罪を否認するというのは、被告が裁判官を信頼して、本音を見せようとしてくれている証であるため、内心で「ヤッター」と喜ぶといいます。
この「ヤッター」って顔が良いのですよ!
 流れも、形式も決まっている刑事裁判は一種手続きのようなもの。しかし、法廷の向こうにいるのは生身の人間です。
 ただ「処理」する、「法令や検証にのっとって判断」するものではないと、入間は坂間に語りかけます。
 そんなイチケイのメンバーたちに触れていく中で、迷わず、迅速対応をモットーとしてきた坂間裁判官の心にも変化が表れていくことに。
 そしてそれは作品を読む読者にも人を裁くことの難しさを伝えてくるのです。

 『イチケイのカラス』に派手な場面展開はありません。
 しかし、裁判官それぞれの個性が光り、話が進む中で、お堅い坂間の心に変化が起こり、遠い存在の彼らの心に共感していく。
 裁く側、裁きを受ける側の心の機微がていねいに描かれていて、なんとも味わい深い面白さを与えてくれるのです。

✔誰もの身近となりえる刑事裁判

真面目に生きているそこのあなた。「刑事裁判」なんて、一生縁の無いモノと思っていませんか?
 もちろん、それに越したことはありませんが、世の犯罪はサスペンス映画に出てくるような、派手派手しいものばかりではないのです。

 『イチケイのカラス』で興味深かったのは、刑事裁判で起訴された被告の全てが「普通の人」であるということ。
 どんなに穏やかで心優しい人間でも、心が荒むことがある。善人でも魔がさすこともあれば、咄嗟のできごとをきっかけに起訴されることもあるのです。
 特に「一億総ジャーナリスト社会(と、筆者は勝手に呼んでいる)」な現在では、そんなつもりのなかった出来事が、拡散され大事になるなんてことも。

 刑事裁判はむしろそんな「普通の人たちの困った」のためにもあるといえるでしょう。

 個人的に印象に残ったのは、「裁判員制度」に参加する会社員男性の話。
 導入時、話題になった「裁判員制度」ですが、いつなんどきに機会が訪れる、それは責任を持つ誰にでもありえることなのです。

 裁判の日常を描く『イチケイのカラス』。それは人として生活していく私たちにとって、遠いようで身近な存在です。
 だからこそ作品で描かれるていねいで真摯な裁判官たちの描写の温かさが救いになり、読む人の胸を打つのだと思います。

▼ 作品情報 ▼

イチケイのカラス

著者:浅見理都


(C)浅見理都/講談社