聴覚障害のあるヒロインの静かな恋を描く『ゆびさきと恋々』は、音にならない「好き」が雪のように降り積もっていく。

※再掲:2021年5月掲載の記事です。
誰かに何かを伝えることに、一生懸命になっていますか?

 以前、聴覚障害のある女性に道をたずねられたことがあります。

 まだスマートフォンが普及していない頃です。行きたい場所のメモを見せてもらい、身振り手振り、ときに筆談も交えての道案内。
 大変でしたが、ちゃんと互いにわかりあえたとき、なんとも嬉しく、ほっとした気持ちになりました。

 同時に、説明する私をじっと見つめて、時折「言葉」を紡ごうと声を発する彼女からは、何かを伝えたいという気持ちがしっかりと感じ取れたのを今でも覚えています。

 当然のように音が聞こえる私たちにとって、会話に不自由さはなく。
だからこそ、夢中で、一生懸命になって、伝えることに集中することを、ときには忘れてしまいます。

 『ゆびさきと恋々』の主人公「」も生まれつき耳が聞こえません。
 そんな音を知らない彼女が恋に出会うことで、想いを募らせ、表情や身振り、行動で「好き」を伝えようとしていくのです。

 その姿の一生懸命で可愛らしいこと!
 声を発せない代わりに全身で「好き」を伝える雪の仕草。一途なまなざし。
 こんなの、雪の想い人である「逸臣さん」に限らず、誰だって彼女のことが好きになっちゃうってもんです!可愛いんだから!

 伝えることに一生懸命なヒロインの愛らしい姿にハートが射抜かれる『ゆびさきと恋々』。
 ぜひあなたも一読し、メロメロに骨を抜かれ、肉を溶かされて、海岸に打ち上げられたぐずぐずのクラゲになってください※特にクラゲは出てきません。

聞こえない彼女の世界を揺らす、彼との出会い。
 大学の国際サークルに所属している雪は、生まれつき耳が聞こえない女の子。
 電車で、外国籍の男性に話かけられて、困っているところを、同じ大学の学生である逸臣に助けられます。
 雪の手振りから、彼女の耳が聞こえないことを感じとる逸臣。
 しかし、特にとまどうこともなく、「初めてこういう人に会った」と、素直に伝え、ゆっくりと口元を動かすことで、雪と静かに「言葉」を交わしていきます。

 初対面でありながら、同情や、興味本位ではなく自然体で自分に接し、「また大学で」と挨拶を残して去っていく逸臣。
 彼と別れた後、雪は自分の心音で、自分の体が、世界が揺れていることに気が付くのです。

✔どこまでも広がる「逸臣」の世界

この想いは恋?憧れ?
 良かった~、世間は狭い!

 雪を助けた逸臣は、同じ国際サークルの友人であるりんちゃんの知り合いでした(これでハッピーエンド!)。
 彼のバイト先であるカフェバーも知っていると話すりんは、逸臣について知っていることを雪に教えてくれます。

 逸臣は、3か国語を話せるトリリンガルで、サークル内の有名人。ザック一つで各国を旅歩く、バックパッカーでもあり、様々な世界を知っているようです。
 自分とは遠く、果てなく広い世界に身を置く彼。
 この想いは恋?憧れ――?まだ、自分の中の想いに名前が付かなくとも、そんな逸臣のことが気になる雪は、再び彼に会いに行くことを決意します。

「おれを、雪の世界に入れて」

 りんの案内で無事に再会を遂げた雪と逸臣。
 実は、様々な言葉を知る逸臣も、「音のない雪の世界」は初めてで、関心を持っていたようです。
 勇気を出して、逸臣に連絡先を教えてもらう雪。逸臣が手話に興味を持ったことをきっかけに、二人の距離はゆっくりと縮まっていきます。

✔二人の指先が会話を紡ぐ

手が口ほどにものを言う!

 作中で印象的なのが、作者森下suu先生の、丁寧な指先の描き方。
 特に手話は、お知り合いの方が使われている実際の動きを参考にしているそうで、連続性のある漫画だからこそ不思議とその「言葉」が伝わってきます。
 さらに、手話の動きだけではなく、手の大きさや動きにも注目したいところ!
 控えめで可愛らしい雪の手。それを包み込む、逸臣の大きな掌。なめらかできれいなりんの指。
 雪を心配し、見守りながらも素直になれない幼馴染、桜志おうしくんの力の入らない不器用な指先。
 それぞれの手にも個性が垣間見え、なんとも賑やかに想いを語ってくれます。
それでね、知っているかい?手のひらにも体格差があるんだぞ……!キュンだな。

✔目に映るほど降り積もっていく想い

恋する乙女はみな可愛らしい!

 物語の中心となって語られるのは、雪と逸臣の二人。
 でも、雪の友人であるりんにも気になる男性:京弥という存在がいて、こちらの恋模様からも目が離せません。何しろ、恋をする雪とりん、それぞれがとっても可愛らしいんです!
雪の友人であるりんちゃん。この子がまた一途で、想いを伝えようとする姿にグッとくるんです!
 好きな人のことが気になり、些細なことで一喜一憂。気にかけてもらえれば嬉しくて、服装を気にしたり、可愛いって言ってほしくて努力する。

 音が聞こえなくても。聞こえて、言葉が話せても。想いを伝えることに勇気がいるのは変わりません。
 だからこそ「好き」を伝えようとする雪、りん、それぞれの一生懸命な姿は、応援してあげたい、がんばれって、いってあげたくなる。恋をする背中を押してもらえるような気持ちになるのです。

「逸臣さんのことが、もっと、知りたいです」

 特に、言葉を音として紡げない雪は、全身を使って「好き」の想いを綴ります。
 読んでいて驚くのは「好き」という一言は、こんなにも豊かで、様々な伝え方があるのだということ。

 印象に残ったのはコインランドリーで逸臣のことをもっと知りたいと、手話で伝える雪。
 指先を高く、高くと重ねて想いを伝えようとする仕草に、彼女の気持ちが見える、作中で一番好きな場面です。
逸臣に雪の想いがちゃんと伝わるか、そして彼はどう答えるのかは、ぜひ本編で確かめてみてください。
雪のように軽く、小さな想いがいくつも降り積もり、世界を変えていく。

 偶然の出会い。いつも行くお店の憧れの存在。幼馴染。
 「落ちるもの」と表現される恋。しかし、ある日突然落ちるまでには、音もなく降り積もっていく、想いのかけらのようなものがあるようです。

 表情豊かに「好き」を伝え合える、『指先と恋々』。静かでいて賑やかな雪と逸臣の指先の会話は、伝えることはこんなにも大変で、だからこそ一生懸命になる価値があるのだと教えてくれるように感じます。

▼ 作品情報 ▼

ゆびさきと恋々

著者:森下suu


(C)森下suu/ 講談社