毎回必ず「人が死ぬ」!? 故人と、遺族のストーリーを明朗で楽観な葬儀スタッフが見つめる『お葬式にJ-POP』

「メメント・モリ」
 時おり耳にするこのラテン語の箴言しんげん(旧約聖書の中の一書。教訓の意をもつ短い句や戒め)。日本語では「死を忘れるな」「死を想え」といったニュアンスに訳され、訳はもちろん、古きローマ時代から多種多様な解釈がされる言葉でもあります。
 「人はやがて死ぬ」という揺るぎない真実を前に、勇気を感じるか。または失望を覚えるか。それは受け取る人の気持ちによるところかもしれません。

 ともあれ、人生100年時代。シニア世代であっても「まだ若い」といわれる昨今。これといったトラブルもなく、健康に生きている内は、自分や近しい誰かの歩む日常に「終わり」を意識するのはなかなか難しいもの。
 大学卒業後、ピカピカの新社会人となったばかりの塩山あかりも同じ気持ちだったのかもしれないのですが……。
ネタバレです。全話必ず、人が死ぬ
 本作『お葬式にJ-POP』の主人公であるあかりが就職したのは、とある葬儀会社。
 職場には毎日のようにご遺体が運ばれ、「死を想わず」にはいられません。
 そして旅立っていく人にそれぞれの背景があれば、置いていかれる遺族の心情も様々。近しい誰かの死とは本来淋しいものですが、主人公の持ち前のキャラクターの素直さが後押しとなり、悲哀に暮れることなく、どこか明るい気持ちにさせてくれます。
 ストーリーのテンポも軽快。明朗で楽観な葬儀スタッフの寄り添い方が、軽やかで心地よい、ポップなセレモニーを覗いてみましょう。

 大学4年生の……冬!
 同級がとっくに就職先を決めて思い出作りに勤しむ中。ギリギリまで就職活動に明け暮れているのが本作の主人公・塩山あかりです。「もうどこでもいいから採用してください(本当にいいのかい?)」と職務内容の理解も浅いまま「採用連絡」に飛びついた先が、○○セレモニー。
 葬儀の会社だったのです。

でも、葬儀社って何をするところなの?
 本作を読まれる方によっては大事な方を見送った経験もあれば、「いつかは…」という方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、20代になったばかりのあかりは両親や祖父母もまだ健在。日常から「死」が遠い彼女にとって、葬儀は未知の存在です。
 だからこそ、そのリアクションは新鮮で、読み進めるほどに発見があり。また気づきのようなものを得られます。

葬儀社の仕事は故人のご遺体の管理、葬儀の段取りを中心に幅広い!
 葬儀は故人を弔うためでもありますが、そのハンドリングは当然遺族に委ねられます。覚悟して、または突然に。身近な人を失い感情が揺れる中、お通夜や告別式と、やることは目白押し。当然ご遺体も放ってはおけません。
 葬儀会社はそんなご遺族に代わり、故人のご遺体の管理から、葬儀の段取りそして、遺族の心のサポートと多岐にわたります。

✔人生の終着駅で起こるひきこもごも

大切な人を亡くしたご遺族は抱えきれぬ悲しみに沈む……ばかりじゃない?
 本作『お葬式にJ-POP』では、あかりが出合う様々な葬儀、そして葬儀を通して浮かび上がる故人や、遺族それぞれのドラマがオムニバス形式で構成されています。つまり、毎回必ず「人は死ぬ」。
 注目したいのは、身近な人を亡くした遺族にとっての「特別な死」は、葬儀会社にとっては「誰にでも起こりえる、普遍的なイベント」であるということ。
 人生におけるクライマックスを葬儀スタッフであるあかりは、戸惑いや驚きを感じつつも第三者の目線で、職場の日常として接していきます。
 また、多くの死と接することで、遺族の反応も悲しみに沈むばかりではないと知っていくのです。
 老衰によって迎える穏やかな死もあれば、事故、病気、そして自殺。しかし、どんな死因であれ、ときに残される者の心の傷は深いものです。
 葬儀会社のスタッフとして間近に遺族の悲しみを受け止める。死について遠い存在だったからこそ主人公あかりのリアクションも正直で、鮮烈です。

✔フィクションに滲むリアル

 ストーリーを手掛けるのはKimura先生。
現在、白泉社の電子雑誌『黒蜜』にて連載中の『お葬式にJ-POP』がデビュー作となります。
 電子配信を活かした枠に捕らわれないページ構成は自由さがあり、フルカラーの作画は華やかでありながら、色彩による感情表現が見事です。
 作品紹介には「元・葬儀社勤務の作者がえがく、リアルお葬式ドラマ!」とあるように、同作には創作でありながら、同時に半エッセイのような生っぽさ、リアルな味わいを感じます。
 Kimura先生はイラストコミュニケーションサイトでもオリジナルの作品を投稿しており、短編の創作から、ご自身の周りを描かれた漫画も面白く、見て、感じて、それを具現化していく力のある作家性を感じました。
 沸き上がった本音や感情をもとに描くことは狙ってできることではありません。
 ストーリーを整える都合、脚色も加えているかと思いますが、経験を通して書き手が感じたであろう感情は、温かさを持って作中に滲み、そのバランスの良さがなんとも心地いいのです。
 遺族の様々な感情に面した際、主人公であるあかりの反応は素直で、感情に流され、けれどもそこに留まるばかりではなく、前向きでしなやかです。
 それは楽観的で脳天気にも取れます。ときに遺族に感情移入し、たくさん泣いた後、接点が済めばいずれ忘れて日常へ戻っていく。それがなんともほどよい距離感に感じます。

✔心に明かりをともす

死に面する日常と、生きる日常
 『お葬式にJ-POP』では、様々な葬儀の様子と平行して、葬儀会社に勤めるあかりの日常が描かれています。
 当然ですが、葬儀に帰着する故人の死とは対照に、生きている彼女の生は日常を重ね、常に変化し続ける。
 同時期に就職した友人とわだかまりができたり、傷ついたときに両親に支えられたり、一方親族に結婚を急かされムッとしたり。合コンに行って、気になる人ができたり……。どれも特別な事件が起こることもなく、止まることのない、20代の女性の一般的な日常です。
 それでも、あかりは仕事を通して日常の延長にはいつか必ず訪れる死があることを意識し、毎日はどこか特別なものへと変わっていくのです。
 作品を読み、印象的だったのは、多くの話に通夜の晩が明けた朝が描かれていることでした。
 「悲しい、淋しい」「どうして」「もっと一緒にいたかった」「頑張ったね」「許せない」。遺族のよるべのない感情に答える口はなく、残された側はただその事実と向き合うばかりです。けれど、それでもやがて朝はきて、命のある限り日常は続いていきます。
 故人のものであっても“命”は、あくまで生きている側のものなのだなと感じます。

 瑞々しい感性を備えた第三者の目線で描かれる様々な死。そしてそこからなお続いていくスタッフあかりの日常。『お葬式にJ-POP』には、かけがえのない今日という時間を味わうヒントのようなものが感じられます。

▼ 作品情報 ▼

お葬式にJ-POP

著:Kimura


(C)Kimura/白泉社